地域住民の目線を大切に、長期的に復興に取り組む
<公益社団法人 シャンティ国際ボランティア会 気仙沼事務所>

団体と助成の概要

 

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 国内外の災害時における被災者支援などに、1981年から30年以上取り組んでいる「シャンティ国際ボランティア会(以下、シャンティ)」。東日本大震災発災時にも、直後の2011年3月15日に宮城県気仙沼市に入り、緊急支援から始まり、津波の影響があった地域における住宅の高台への集団移転のサポートや、コミュニティ支援に取り組んでいます。

 震災から3年が経過した2014年。気仙沼市外から支援に入っている組織が撤退することも増えています。しかし、道路の復旧やがれき処理は終わっても、仮設住宅・店舗を出た後の本設のまちづくりをどうデザインするかはこれから。長期に渡り復興に関わることができる、地元住民の力に期待が高まっています。

 シャンティは被災者支援のエキスパートとして、蓄積した知識や技術を地域に残すため、地元人材の育成とノウハウ移転に努めています。

 

避難所での手伝いを経て、スタッフに

 地元で長期的に復興を担う人材として、シャンティのスタッフとなり、組織のこれまでの経験を吸収している一人が、地元採用スタッフの笠原一城さん。自然に恵まれた環境で子育てをしたいと、2011年1月に仙台市から妻のふるさとである気仙沼市に引っ越したばかりでした。東日本大震災により地域住民と共同生活していた避難所が、シャンティの活動拠点となっていたことをきっかけに、2011年5月から活動に加わることに。笠原さんは「それまではNPOに全く関わりがなかったのですが、震災後に避難所の手伝いをする中で『自分にできることを』と思うようになった」と当時の様子を振り返ります。

 

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後列中央が所長の白鳥さん。前列左から2番目が笠原さん。
2013年にプレハブからトレーラーハウスへと事務所を移転した。

 

まちづくりに、多様な意見が反映されるように

 シャンティは避難所や仮設住宅での課題把握やコミュニティ支援活動に取り組み、2012年からは被災した住民が国の「防災集団移転促進事業」制度を活用して、高台に集団で住宅を建てるためのサポートや、その周辺のまちづくりに向けた話し合いの支援も始めました。行政から発信される情報を住民に分かりやすく説明したり、まちの地形を模型にして地域全体をイメージしやすくしたり、地域新聞を発行したりと、住民一人ひとりが自分の住む地域の今とこれからを知り、まちづくりに関わりやすくするきっかけづくりを行ってきました。

 約85世帯が暮らす気仙沼市登米沢(とよまざわ)地区も、サポート先の一つ。登米沢地区は、「防災集団移転促進事業」による集団移転に加えて、建設が進められている三陸自動車道が通る地域であること、防潮堤建設の計画もあることから、特に住民同士の意見交換・集約が必要な地域。震災前までは、まちづくりに関する決めごとは高齢の男性を中心として進めていくことがほとんどでしたが、「若い世代や女性の意見も取り入れたい」と、中学生以上を対象とした防潮堤建設に関する住民アンケートを実施。「アンケートは、世帯に一部だけだと家長が答えるだけになってしまうと思い、世帯の人数分アンケート用紙を渡して、幅広い世代から意見を聞けるようにした」と笠原さん。できるだけアンケートを手渡しするなどの工夫も功を奏し、8割以上の回収率となりました。

 アンケート結果は「登米沢まちづくり新聞」で発表。「防潮堤があることによって安心できる」「自然が壊されるし海が見えなくなる」など様々な意見が寄せられ、住民に共有されました。笠原さんは「まちづくりの話し合いで、普段は意見を言わない若い参加者が、終わってからこっそり『実は』と意見を言いに来たこともあった。少しずつ変化が見えている。住民全体でまちづくりを進める、その入り口がやっと見えてきたところ」と、長期的なサポートの必要性を語りました。

 

地域新聞を発行し、行政によるまちづくりの計画や抱えている課題など、
住民へ分かりやすく伝える。

 

支援団体同士の連携づくりの旗振り役にも

 シャンティでは、他の支援団体と連携して、気仙沼市で復興支援に関わるNPOの横のつながりづくりにも取り組んできました。週に1回の連絡会を運営し、各団体が行う支援の情報共有や、予測される課題について対応策を検討してきました。毎回10以上の団体に加え、行政からの参加も。連絡会の準備や進行、メーリングリストの管理などを担当し、「全体を見渡せたことで、団体それぞれの強みを把握して役割分担することができ、行政との連携が進めやすくなった」と、連絡会が果たした役割を話しました。

 

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気仙沼NPO/NGO連絡会の様子。白鳥さんによるサポートのもと、
書類作成や場所の確保など笠原さんが担当した。

 

地域を尊重しながら、住民の一人として

 それまでNPOでの経験がなかった笠原さんを、見守りながらサポートしていたのは、事務所長の白鳥孝太さん。笠原さんは「最初は分からないことばかりで、白鳥さんの仕事を見ながら覚えていった。難しいことをいかに分かりやすく住民に伝えていくか、参加者が意見を言いやすい場づくりなど、日々勉強」と話します。白鳥さんは、「自分の都合で進めるのではなく、地元のやり方・ペースを尊重することが大事。地域に住む方たちと一緒にどのような形をつくるか、これからが特に大切」と笠原さんに期待を寄せています。

 笠原さんは、地域で家族と共に暮らし続ける一人として、次のように話します。「住民一人ひとりが地域のことに関心を持ち、良さを発見し、安心して住みやすい地域をつくっていきたい」。地元住民の目線を持ちつつ、長期に渡り復興に取り組み続けます。

 

(2014年3月インタビュー実施)