福島県内に住み続ける、避難する。それぞれの想いを結ぶ架け橋に
<特定非営利活動法人福島ライフエイド>

団体と助成の概要

 

 東日本大震災による津波や原発事故の影響で福島県から県外に避難している人は、2014年4月現在4万6,700人(福島県調べ)。中には、放射線の影響を心配して自主避難している人も。様々な事情により福島で暮らし続ける人がいる中で、「自主避難」は簡単な決断ではありません。それまで住み慣れた福島を離れて暮らすことに不安や負い目を感じつつも避難し、避難先で孤独を覚える人も少なくありません。一方、福島県内に残る決断をした人は、それまで近所に住んでいた人たちが離れて行く不安、取り残される感覚を持つことも。それぞれの事情や思いが見えにくい分すれ違いが起こり、溝が生まれてしまうようです。

 福島県福島市を拠点に活動する「福島ライフエイド」は、福島県内に暮らし続ける人と県外避難をする人の「それぞれの想いを結ぶ架け橋となれば」と、フリーペーパー「吹く島」を発行。福島県内をはじめ、県外避難者が多く居住する山形県や新潟県に配布。様々な立場からの「生の声」を伝え、お互いの気持ちを知るきっかけづくりに取り組みました。

 

隔月で発行される「吹く島」。
インタビュー記事や、家族で遊べるスポットの紹介など、福島県内外をつなぐ内容を心がけた。

 

お互いの想いを伝える媒体を

 福島ライフエイドのメンバーである齋藤正臣さんは、福島駅からほど近い洋食店の店主。震災直後、ラジオから流れてきたのは、避難所で食べ物が不足しているという情報。「飲食店だから材料や調理器具はある。同じくラジオを聞きつけて集まった飲食店経営者を中心に、避難所で炊き出しを行いました」(齋藤さん)。食事の供給がある程度安定する4月半ばくらいまで、炊き出しが続けられました。

 その後、長期的に復興に取り組みたいと、2011年8月に団体を設立。その頃から、福島県から県外避難を決断する人たちが増えてきたと、齋藤さんは振り返ります。「同級生や近所の人たちから、山形や新潟へ行くという話が良く聞かれるようになって。かなりの人が行っていることは肌で感じていました。一方、福島に残る決断をした人が、複雑な気持ちを抱いていることも分かったんです。それで、お互いに分かり合えないと思い込んでしまう。でも、避難や残る、それぞれの決断をしただけで溝が出来てしまうのは、なんだか違うと思って」。そこで、2011年の10月から、それぞれの考えを伝え結ぶものとして、フリーペーパー「吹く島」発刊の計画が進められました。

 

震災後の4月半ばまで、避難所にて炊き出しを行った。
ある時はボランティアメンバーも加わり、1,500人分の食事を用意した。

 

生の声を多くの人に届けるために 

 福島ライフエイドのメンバーに加え、趣旨に賛同する編集者も加わり、実行委員会を結成。編集会議で意見を交わしました。こだわったのは、「生の声」を届けること。「互いの気持ちを知らないことで、誤解が生じているんです。生の声で伝えたいと思いました」

 2012年6月に第一号を発行。インタビュー記事では、山形県へ母子避難した母親や、避難をせずに福島市に暮らしつづける人、福島県浪江町から福島市へ避難し仮設住宅で暮らす人の声を掲載。

 特に反響が大きかった記事は、山形県へ母子避難した母親の記事。「県内に残る決断をした人は、取り残され見放されたと感じている人も。でも実際は、避難した人たちも不安を抱えながら、必死に生活しています。生の声を載せたことで、『そんなことを考えていたんだ』と気づくきっかけになった読者もいたようです」(齋藤さん)。

 一方で、「避難した人は福島県に残る人に、もう受け入れてもらえないと思っていることが多いんです。でもそんなことはなくて。実際、第一号でインタビューした人も、県外避難した人が戻ってこようと考えたときのために、素敵なまちづくりを県内の人たちでしていこうと考えていました」。当事者の声をありのままに掲載したことで、すれ違っていた思いを近づけるきっかけを提供できました。

 「吹く島」は福島県内の商店を始め、山形県と新潟県では行政から避難者宅への発送物に同封し、全戸配布することができました。その他の県でも、避難者支援団体などの協力を得られ、約170カ所に5,000部配布することができました。

 

「吹く島」内の特集として、主婦や農家など様々な肩書を持つ人たちが集まり、
それぞれが抱える課題を語りあった。

 

福島にとって必要な支援をこれからも

 発行を重ねるにつれ優先的に考えるようになったのは、「必要なこと」を届けること。読者の声を反映させて様々なチャレンジに取り組みました。ある号の特集では女性6人が集まり、それぞれが抱える悩みや必要なことについての座談会を開催。「中でも、食の安全について盛り上がって。スーパーで並ぶ野菜が、誰がどのように作っているかを知りたいという声があがり、そこから農業者との交流会が開催されるなどの広がりも生まれました」

 一方、齋藤さんは「震災から3年が経ち、ニーズが絞られてきて、それも他の支援団体と協働しながら役割分担ができるようになってきました。そうなると、『吹く島』を誰に対して、何をどのように伝えていくかをもう一度考える時期に来ていると感じているんです」とも。今、福島ライフエイドは何を求められているのか——。一つの転換期が訪れています。

 「吹く島」の名前の由来は、「福島の未来のために、風を吹かせていこう。一人ひとりの夢をのせて、幸せを届けたい」という思いからつけられたもの。福島ライフエイドは、これからも福島に寄り添いながら活動を続けていきます。

(2014年3月インタビュー実施)