乳幼児を抱える「避難ママ」が互いに支え合える仕組みづくり
<NPOりとる福島避難者支援ネットワーク>

団体と助成の概要

 

 福島県第一原子力発電所の事故により、福島県から県外へ避難する人の数は増え続けています。特に、福島県に近く、放射線量の低い山形県への避難者は11,533人(平成24年8月2日現在、山形県ホームページより)と多く、その中には仕事で福島を離れられない父親を残し、子どもの健康を考え母子だけで山形へ避難しているケースも少なくありません。乳幼児を抱えて避難している母親たちの年代は20代から30代前半がほとんど。若いママたち、いわゆる「避難ママ」たちは、家族や地域のコミュニティーと離れ生活することで孤独やストレスを感じていることが多く、それが原因となって子どもにきつくあたってしまう可能性もあります。また、託児環境の不足や周囲の理解が得づらいことから就職が難しいなど、多くの問題を抱えています。

 「NPOりとる福島避難者支援ネットワーク」では、こうした母子たちが抱えがちな問題を未然に防ぎ、新しい環境で孤独を感じることなくお互いに支え合えるよう、山形県で生活するうえで役立つ情報交換のためのメーリングリストの管理や、託児付きのイベントを開催し避難ママの自立支援を行っています。

 

子どもと離れママだけの時間

避難ママの企画による託児付きイベント

 

 2012年8月某日、「NPOりとる福島避難者支援ネットワーク」による「ままTIME 3h」が、山形市内で開催されました。「ままTIME 3h」は、福島県から山形県へ避難している避難ママが企画したイベント。別室に託児スペースを設け、3時間の間、ママは子どもと離れた空間で過ごします。子どもと離れる時間をつくり、同じ境遇の仲間と時間を共にすることで、避難ママのストレスを軽減させようというもので、これまでに料理教室やお茶会などが行われました。

託児スペースで子どもたちも楽しく過ごします

 この日はヨガ教室が開催され、参加した母子は14組。避難ママたちは講師の呼びかけに合わせて呼吸を整えながら体を伸ばし、室内はリラックスした穏やかな空気が流れます。参加者の一人は「暑い中、家で子どもと二人きりの時間が続くと、どうしてもストレスが溜まってしまい子どもにきつくあたってしまうことも。子どもから離れて同じ悩みを持つ仲間と過ごせる時間は貴重」と、この会がストレス発散の場になっていることを笑顔で語ります。

 託児スペースでは、子どもたちは地元山形市の託児ボランティアグループ“ぐるんぱ”から派遣されるスタッフによる見守りの中のびのびと遊びます。スタッフの一人は「子どもはママの不安やイライラを敏感に察知するもの。このイベントも始まった当初は、子どもたちは泣き叫んだり暴力的だったりと落ち着かない様子でしたが、回を重ねるごとにそうした子も少なくなり、仲良く遊べるようになってきました」と子どもの変化を話しました。

 

7人から始まったメーリングリストが400人へ

 

代表の佐藤洋さん

 「NPOりとる福島避難者支援ネットワーク」代表の佐藤洋さんは震災の前から山形県で働きながら、ボランティアで妻とカウンセリング活動をしていたこともあり、福島県にも知人が多くいました。震災後、自宅へ福島県からの避難者を受け入れているうちに、避難者同士がつながる仕組みの必要性を感じ、2011年7月にメーリングリストを開始し、避難者同士の情報交換や支え合いの場をつくりました。

 当初7人の避難ママから始まったメーリングリストでしたが、現在登録者は400人以上になり、そのほとんどは福島県から山形県へ乳幼児と共に避難してきた人たち。「○○で支援物資の配布があります」「子どもにつらくあたってしまう時があるのですが…」など、山形での生活情報から悩みまで、登録者同士による活発なメールのやり取りが日に20通ほどあるといいます。

 

避難ママと子どもを取り巻く問題

 

 山形県へ避難している母子の多くは、避難指定区域外の福島市や郡山市などからの自主避難者。そうした自主避難者は行政から受けられる補助も限られ、仕事のため福島に残る夫との二重生活もあり金銭的な負担が重くのしかかります。さらに縁のない土地で不安を抱えたまま幼い子どもと生活していかなければなりません。

「本当に何も分からないまま避難してきました」とは「NPOりとる福島避難者ネットワーク」で「ままTIME 3h」の企画・運営をする高田利江さん。震災直後の2011年3月19日、身重のからだで1歳の子どもと共に福島市から避難してきました。「周りに知っている人もいないし、子どもと生活しているとどうしても家にこもりがちになってしまいます。それから、働きに出ようと思っても、私のように子どもが二人いる場合、託児サービスや保育園に預けると費用も2倍になってしまう。そうして働いても結局出費が増えてしまうことになってしまいますから」と、乳幼児を抱える自主避難者を取り巻く環境の問題を話しました。

 様々な問題はあるものの、同ネットワークの佐藤代表は避難母子のつながりをつくることによる、避難者のメンタル面での変化を感じているといいます。「中には様々な事情で福島県へ帰る選択をする母子もいます。以前は、そうしたことは私たちのサポート不足による『負け』だと思っていました。でも、そうじゃなかった。福島へ帰った後も、母親たちは機会を見つけて県外での保養ツアーに参加するなど、以前とは違った動きが見えることが多いのです。一度山形に避難し仲間とつながることによって様々な選択の可能性があることに気づくのだと思いますが、避難ママたちの頼もしさを感じています」。

 

避難ママたちの自立を後方サポート

 

お話しを伺ったママと子どもたち

 「山形県で生活し続けたいという気持ちがあるのに、支援の情報などが得られないことで福島県へ帰る決断をする人がいるのは残念なこと。避難者が必要な情報を、より多くの人に正しく伝えたい」と佐藤代表。さらに今後の活動について「避難してきている母子が、なんとなく集まれる居心地の良い場所を提供することが大切だと思っています。その中から避難ママたちが新しく何かを始めようとする動きが生まれれば全力でサポートするというスタンスで活動を進めたい」と、避難ママたちの自主的な活動や自立への支援に積極的です。2012年7月からは避難ママが企画する、お寺の本堂での子どもたちの集いの場づくりが始まるなど、新しい動きも生まれています。

 長期的な避難が考えられる福島県からの母子たち。避難者同士がお互いに支え合い、前向きな一歩を踏み出すためのサポートを「NPOりとる福島避難者ネットワーク」は続けます。