「自転車に乗りたい、木に登りたい」を山形県の第二の家で
<フクシマの子どもの未来を守る家>

団体と助成の概要

 

 東日本大震災後の福島第一原子力発電所の事故に起因する放射線の影響に脅えながら暮らす小さい子どもを抱えた家族たちに、夏休みなどの休暇を利用し屋外で思いっきり遊べる環境をつくる試みが「フクシマの子どもの未来を守る家」で進められています。山形県鶴岡市に住む市民が集まり、鶴岡市内の空き家を借りて修繕し、福島県や宮城県南部などから保養に訪れる家族たちに短期間滞在できる家を提供しています。

 

子どもを思いきり屋外で遊ばせたい

家主の厚意により無償で借りている家

 日本海に面した山形県鶴岡市の中心部から、黄金色の穂を垂れた米が埋め尽くす田んぼを両脇に見ながら車で約15分、“守る家”が姿を現します。「泊まりにきた家族が楽しめるよう、庭でちょっとした野菜も育てているんですよ」と案内してくれたのは、「フクシマの子どもの未来を守る家」の高橋裕子代表。数年前から空き家になっていたところを、家の持ち主の好意により無償で借りています。広い居間と台所、寝室の他にもいくつか部屋があり、複数の家族が同時に利用することもあるそうです。布団や家具、電化製品など生活に必要なものは食料以外全て揃っています。

“守る家”を利用するのは、放射線の影響を心配して屋外で満足に遊ぶことができない子どもたちのため、週末や長期の休暇を利用して思う存分外遊びをしてもらいたいとの思いをもつ家族ら。「外で自転車に乗ることができなくなったのでここで思いきり走りたい」という子どもの声が多くあったことから、“守る家”では子ども用の自転車も数台用意しています。家族らは、スタッフに家の使い方の説明や緊急連絡先、近所の商店や病院などの案内を受けた後、家族それぞれの時間を過ごします。利用者の多い夏休みの時期は約1ヵ月前から予約でいっぱいになるほどで、2012年の7月と8月の2ヵ月で32家族が利用し、数々の家族の笑い声が“守る家”に響き渡りました。

外で自転車に乗りたいという子どもが多いそう

 利用者からは「木に登ったり、土に触ったり、海に入ったりと、放射線の影響を気にしなければならない地域ではできないことを思いきりできて楽しかった」「山形県産で新鮮で安全な食べ物が多くあるので、食料の購入が気楽に安心してでき、嬉しかった」などの声が多いといいます。また“守る家”を利用する他の家族との情報交換や悩みの共有もされ、子どもだけでなく保護者の心のケアにもつながっています。ボランティアスタッフの川内さんは「子どもも親もストレスから解放されるので、親子関係が良くなったという話もよく聞きます。それぞれの家族のスタイルを変えることなく、山形県でもリラックスして過ごしてもらいたい」と話しました。

 

“守る家”を通した地域とのつながり

 “守る家”の始まりは、震災後放射線汚染地域からの避難者が使用することのできる部屋情報が集まるインターネット上のページに、高橋代表が自宅の空き部屋を登録したところ、たくさんの申し込みがあったことがきっかけ。申し込みと共に「震災以来子どもが全く屋外で遊んでいない」「せめて夏休みだけでも、子どもを屋外で遊ばせたい」と、子どもへの放射線の影響を心配する家族たちから切実な思いも寄せられたことで、多くの需要と子どもを抱える親の思いがあることを知り、周囲の協力を得て受け入れ先となる家を探し始めました。「長い間空き家になっているし、被害を受け困っている福島の方の役に立つのなら」と高橋代表の思いに賛同する貸し手との巡り合わせがあり、2011年7月から始まった“守る家”は、2012年9月現在5軒を運営するほどになりました。

親戚の家に遊びきたような感覚で過ごせる

 空き家を借りることが決まると、周囲への挨拶から始まります。鶴岡市以外の様々な地域から家族が来て短期間宿泊することを近隣の家一軒一軒に説明してまわると、自然と協力体制も生まれてくるそうです。中には地域での祭りやイベントにも招待されたり、畑で取れた農産物を届けに来たりすることもあるそうで、近隣の家族との交流も生まれているといいます。「山形県は、福島県等からの避難者が多いので以前から理解のある方が多いのですが、実際に身近にそうした家族たちが来ることで、より自分事として考えるきっかけになっていると思います」と高橋代表。また、放射線の影響のある地域に住む子どもを持つ親の話しを聞く会もこれまでに4回実施するなど、“守る家”を介して、お互いの交流と理解がますます深まっています。

 

「いつでも来られる家がある」

高橋代表(右)と川内さん(左)

 これから迎える冬、積雪の多い鶴岡市では、雪が家の2階まで積もる地域もあり、雪で屋根が潰れないように冬の間に数回の雪下ろしも必要です。利用者が少ない時期にも、布団を干したり空気の入れ替えをしたりと、丁寧な手入れが続けられています。

高橋代表は「家の管理は予想以上に大変。でも、放射線の影響に脅えながら暮らしている方に、いつでも来られる家が山形県にあると思ってもらえたら」と、第二の家としていつでも利用してほしいと希望を語りました。